ポニョって死後の世界?
金曜ロードショウでポニョが地上波で放送されて、結構面白かったです。ポニョはその世界観が素晴らしく絵も美しいので、子供だけではなく大人も含めて多くの人が楽しめると思います。
しかし、悲しいことに、ポニョを「死後の世界」であると解釈しているブロガーや評論家がネットにはたくさんおり、グーグル検索でもそういった記事が検索上位になっている現実があります。
確かに、説得力がありますし、僕自身この作品が「死」というものをある程度匂わせているのは事実だとは思ってはいます。しかし、だからと言って、この子供向け作品が本当にそんな目的で作られているとは考えられません。
ドラえもんは未来から追い出された?
例えばですが、アニメ「ドラえもん」は、なぜ未来から現代に来たのでしょうか。それは、のび太のおじいさんであるせわし君が、のび太の結婚相手をしずかちゃんするために、ドラえもんにお願いしたのです。
けど、こういう解釈だってできません?
「ドラえもんは未来の世界では、ポンコツで使えないロボットと思われ、仕方なくのび太がいる現代へ追い出した」
根拠
・ドラえもんはポンコツでドジなロボットなのは事実で、そのドラえもんはせわし君とこまめに連絡は取っていない。
・ドラえもんの妹のドラミちゃんは、対称的に出来の良いロボットで、ほぼ未来の世界にいて、せわし君といつもいる。
・せわし君の両親など、他の親族が一切出てこない。
・ドラえもんは、野比家で最も出来の悪いのび太のお世話をする羽目になっている。
など、証拠はたくさんあるように思えてくるし、なんか正しいような気がする。けど、この解釈が絶対的に正しいなんてあなたは思えるのでしょうか。
この記事では、ポニョ=死後の世界をなるべく論理的に否定してみたいと思います。
ポニョ=死後の世界の根拠もあやふや
ポニョが死後の世界を描いているという解釈で、一番疑問に思ったのが、次の解釈でした。
・物語の終盤で、車いすに乗っていた老人が元気に駆け回っているシーンが死後の世界の証拠である。
確かに、車いすに乗っていた老人は、物語の終盤では、まるで子供のように元気にかけっこをしています。しかし、これは僕は死後の世界とは思えないのです。
なぜなら、このシーンに関しては最初から伏線があったからです。
ポニョと宗介が出会ったとき、宗介は親指にケガをします。しかし、それをポニョがなめることで、親指の傷があっという間になくなります。
そして、宗介はこのことを老人たちに話すと、老人たちははっきりとこういう発言をしていました。
「ポニョに私たちの足も治してくれたら、また、かけっこができるのに・・・」
そして、ポニョは傷を癒すなどの強力な魔法がもともと使えるのですが、このことに関してはポニョの父親であるフジモトが、「母親ゆずりだ」とはっきり述べています。
つまり、ポニョの母親(グランマンマーレ)はポニョと似たような能力が使えるわけです。
だから、老人たちの足を治したのは、ほぼ間違いなくグランマンマーレでしかないのです。これは、はっきりと映画内で伏線があるのですから、こう解釈をするのが最も自然ですし、これが国語の問題でしたら、これこそ満点の解答だと思います。
歩ける老人=死後の世界の証拠がいかに適当なのか、この時点で疑う余地がありません。
ただ、なぜ治したのかはよく分かりませんけどね。(笑)
・大正時代の服装をした夫婦と赤ちゃんは未練がある幽霊である。だから、死後の世界の証拠だ。
町全体が海に沈んだあと、宗介とポニョが船で冒険をすることになるのですが、この時に宗介たちは赤ん坊を抱いた夫婦に出会います。これも死後の世界を暗示しているというのです。確かに現代の服装とは思えない格好をしており、これは不思議ではあります。ただ、これも必ずしも死後の世界とは言いにくい部分があるんです。
それは、この夫婦が宗介とリサのことを普通に知っているという事実です。つまり、お互いに知り合いなのです。夫婦は、「誰かと思ったら宗ちゃんじゃない」と映画では発言しちゃっており、ご近所さんという設定なのです。
さて、実はポニョ=死後の世界を論じる人の解釈では、宗介は死んでいないという解釈が多いのですが、死んでいないはずの宗介が、大正時代に死んでいる夫婦と知り合いなのは何とも奇妙な事ですし、矛盾と言わざるを得ません。
ポニョが強大な魔法を手に入れてからの世界
この物語で、なぜ死後の世界がこれだけ解釈されているのか。その根拠はほぼすべて、ポニョが強大な力を手に入れて、大暴れしたあとの世界にあります。ポニョが力を手に入れて、大嵐を作った後の世界は、不思議でした。明らかに日本にはいないだろと思われる魚がうじゃうじゃ泳いでいたり、日本に絶対いないだろと思われる鳥もいます。
だから、ポニョが魔法を使った後の世界はかなりめちゃくちゃであり、私たちが知っている世界の体系をぐちゃぐちゃにしたのは事実でしょう。
海に大きな穴があき、大量の船が動けなかったシーンもそのカオスな世界を表現したモノでしょう。(そのあと、ポニョのお母さんが船を動かしてくれましたが。)
これだけ、カオスでしたら、うっかり死者が蘇るなんてこともあってもおかしくないですし、今の世界と死後の世界がつながるなんてこともあっても不思議じゃないです。だから、この世界で死後の世界を匂わせる何かがあるのは変な事ではありません。
よって、この世界に関してはおそらく意図的に「死」を解釈できる要素を入れている可能性は十分あります。こういった考察については、根拠も明白であり、説得力もあるのですが、詳しいことはこの方の解説に任せることにします。
このサイトの解説は非常に興味深いです。まぁ、だからと言って、登場人物のほとんどが死んでいるというのはやはり違うとは思いますけどね。
おまけ
最後に、あくまで個人的なポニョの解釈を述べていきたいと思います。
・ポニョのお母さんは、強靭な力を持っている。
ポニョのお母さんは、ポニョが大嵐でめちゃくちゃにした地球を唯一修復していた人物です。動かなくなった船を動かしたり、海に沈んだ街が全く損傷がなかったのも彼女のおかげだと思います。
ポニョが強い魔法を手に入れたことで、慌てふためくフジモトとは逆に、ポニョの力を知っていても常に落ち着いていたので、大嵐を作ったポニョと同等以上の実力があるのだと思います。
基本的に、優しい人なのでしょうけど、地球をどうにかできるレベルで強いので怖いといえば怖い人ですね。
・ポニョが赤ちゃんにキスをしたのは、赤ちゃんが病気だったから。
映画では、大正時代の格好をした夫婦と赤ちゃんが出てくるのですが、まずポニョはその赤ちゃんにスープを上げようとしました。そして、夫婦と別れるときに、赤ちゃんが大泣きしだします。すると、ポニョは赤ちゃんにキスをしました。その後、赤ちゃんは笑顔になります。
最初、このシーンは意味が分からなかったのですが、ポニョが傷を治す能力があると考えると、おそらく赤ちゃんは病気持ちだったのではと考えています。最初、ポニョはスープを上げて、赤ちゃんを元気にさせようとしたのでしょう。
結局、ポニョは赤ちゃんの病気を治すために、魔法を大量に使ってしまい、そのあと眠ってしまうことになりました。
ネットでは、この「スープ」を上げるというのが、実は「死」を表すと解釈できるという主張があるようですが、僕はこのような「生」の解釈も十分にできるのではないかと思っています。
・ポニョがトンネルを嫌うのは単純に怖いだけだから。
終盤で、ポニョがトンネルを渡るのを嫌がる描写がありました。このシーンもかなり謎で、いろんな人がそれぞれの解釈を述べていますが、僕はもっとシンプルに、単純にトンネルが怖かったからじゃないかと思っています。
この映画は、子供のセンスというのを非常に大切にしています。僕が小学1年生の時、学校に行くときには必ずトンネルを通ったのですが、トンネルは何か不気味で怖かった記憶があります。
深い哲学的な視点からの解釈もあるとは思うのですが、純粋な子供の視点からの解釈だと案外こんな理由で済むのではないかと考えています。
終わり
ポニョは、やっぱり子供が一番楽しむべき映画だとは思いますが、大人でも議論できる深い映画かもしれません。
ポニョ=死後の世界という解釈はあくまで1つの解釈にすぎないので、これが真実と思わないほうがいいと思います。
もしも、あなたの知り合いで「ポニョが実は死を意味する・・・」とか言い出したら、このブログをぜひ紹介してみてくださいね。