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文系は本当にバカなのか?すごい文系の偉人を調べてみた。

文系は使えない?

 

 

ネットではよく理系出身の人が文系は役に立たないなど、たびたび悪口を言うことがあります。まぁ、実際理系の研究の方が現代社会では貢献していますし、僕はそのことを否定するつもりは全くありませんが、理系の文系批判を見ると「そもそも文系学問を誤解している、あるいは文系学問の一面的なところしか見ていないのでは?」と思われる発言が目立つことがあります。

 

例えば、2chでよく見かけるものに、「文系は一生作者の気持ちでも考えてろよ」という誹謗中傷があります。この誹謗中傷のなかに、まさに文系学問を一面的にしかみていない思考回路が見えてきます。

 

これは想像にすぎないんだけど、“文系の学問=学校の国語の授業”という認識が無意識にあるのでしょうか。もしもそういうイメージがあるなら、確かに文系学問はいらない子と言われても仕方がないと思います。

 

しかし、現実はそうではありません。私も大学入学後、文系として大学の授業を取っていたのですが、正直高校で習っていたような授業はありませんでした。文学部で日本文学でも研究しない限り、高校の授業みたいな内容を大学で学ぶことはありません。私は、むしろ文系の学問と言えば、経営学などの社会的な学問だというイメージが今ではついているくらいです。

 

大学入試の数学が理系学問だと言われて、「こんなの必要ない」と言われるとおそらく多くの理系は、大学ではこんな意味不明な問題は学ばないと言われると思いますが、それと同様に、文系の学問も高校での国語の授業とは全く違うのです。

 

また、文系の功績もバカにできないところがあります。例えば、日本人が英語を学ぶとき、当然文法を習得するわけですが、その「文法」を研究したのは間違いなく文系でしょうし、「学校」などの教育の必要性について考えてきたのも文系です。

 

こうやって考えれば、文系も社会に欠かせない貢献をしてきたのではないかと僕は思うのです。

 

真面目な文系もいるんです!

もちろん、理系の方がおっしゃる文系批判も事実です。例えば、文系は理系と比べて「ウェーイww」と言いながら遊んでいるのは事実でしょう。文系の大学に身を置いていた僕から言わせると、適当に大学生活を過ごしている文系の方もたくさんいます。

 

しかし、それでも理系の方の批判は一面的ではないかと僕は思うのです。実際、図書館にこもり文献をあさる文系学生も希少ながら確実にいるのです。

 

すごい文系の偉人 

そこで、今回は僕が個人的に「すごい!」と思う文系の人を紹介してみます。

 

まぁ、ぶっちゃけこれらの文系は理系にも興味を持って取り組んだことがあるのですが、結局文系の方の業績がすごかったという感じの人ですね。

 

ルソー

 

ジャン=ジャック・ルソーは、ジュネーヴ共和国に誕生し、主にフランスで活躍した哲学者、政治哲学者、作曲家。一般的に見て政治哲学や社会思想の一面から口にされることが多いが、哲学や倫理学、人間学、自然学の他、音楽や音楽理論、文学や文学理論、舞台芸術などといった芸術分野など、広範囲に及ぶ興味を抱き、多方面に亘って類を見ない思想を残している。

哲学者としては啓蒙思想家(フィロゾーフ)に判断されるルソーになるが、作家という形でも多大な結果を得ており、その「私」を力強く突き出した作風は、後のロマン主義の草分け的存在になったと呼ばれ、その長大かつ緻密な回想記である『告白』は『懺悔録』の名で日本語訳され、太宰治などのエッセイにもその言明がみられる。また、自らが「空想のままにペンを走らせた」といった『新エロイーズ』は18世紀フランスにおいての最大レベルのベストセラーとなり、ヴォルテールの『カンディード』と並び称された。

マリー・アントワネットが発したと見なされる「パンが無ければお菓子(ケーキまたはクロワッサン)をいいじゃない」のセリフは誰もが知っているが(元になる文章は S'ils n'ont pas de pain, qu'ils mangent de la brioche.、訳せば、パンがないのであればブリオッシュを食してはどうか)、これは告白録の第6巻の記事が原典だと述べらている。

作曲家としてのルソーは、オペラ『村の占師』(Le Devon du vollage 1753年、パリ・オペラ座で初演)などの力作で認知される。余談になるが、このオペラの挿入曲が、後に日本においてはむすんでひらいてのネーミングでよく熟知されるようになった童謡である。

ルソーは「子供の発見者」とも評される。

ジャン=ジャック・ルソーは1762年の著書『エミール』で繰り広げた消極教育論に於いて、子供を「小さな大人」と考えるの過ちを記述した。彼は、生まれてから12歳に達するほどの期間は、子供時代という能力と器官が内の方に発現する段階であるのではないかと発し、大方施される進歩したアビリティーや器官を利用する方法を教える教育(人間の教育)は逆の効果になってしまい、能力と器官を大きくし完成させる教育(自然の教育)をやらなければならないとアピールした。

 

 

 wikiより

 

 

ナポレオン

 

ナポレオン・ボナパル(Napoléon Bonaparte、1769年8月15日 - 1821年5月5日)は、革命期フランスの軍人・政治家。ナポレオン1世(Napoléon Ier、在位:1804年 - 1814年、1815年)としてフランス第一帝政の皇帝にも即位した。

フランス革命後の混乱を収拾して、軍事独裁政権を樹立。また、戦勝と婚姻政策によって、イギリスとオスマン帝国のヨーロッパ側領土を除いたヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いた(これら一連の経過をナポレオン戦争という)が、最終的に敗北して失脚した。

 

ナポレオンが用い、広めた法・政治・軍事といった制度はその後のヨーロッパにおいて共通のものとなった。かつて古代ローマの法・政治・軍事が各国に伝播していったこと以上の影響を世界に与えたと見ることもできる。

 

ナポレオン法典はその後の近代的法典の基礎とされ、修正を加えながらオランダ・ポルトガルや日本などの現在の民法に影響を与えている。フランスにおいては現在に至るまでナポレオン法典が現行法である。アメリカ合衆国ルイジアナ州の現行民法もナポレオン法典である。ナポレオンはこの法典の条文の完全性に自信をもち注釈書の発行を禁じた。

 

ナポレオン法典とは

ローマ法とフランス全土の慣習法、封建法を統一した初の本格的な民法典で、「万人の法の前の平等」「国家の世俗性」「信教の自由」「経済活動の自由」等の近代的な価値観を取り入れており、近代市民社会の法の規範となった。後に日本の旧民法編纂の際にも参考とされた。エジプトを始め、イスラム世界でも影響を受けている国がある。

 

軍事的にもナポレオンが生み出した、国民軍の創設、砲兵・騎兵・歩兵の連携(三兵戦術)、輜重の重視、指揮官の養成などは、その後の近代戦争・近代的軍隊の基礎となり、プロイセンにおいてカール・フォン・クラウゼヴィッツによって『戦争論』に理論化されることになる。

 

wikiより

 

おわり。

 

エミール〈上〉 (岩波文庫)

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エミール (まんがで読破 MD111)

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